ようこそメディカルアロマと薬膳 ナチュラルライフへ💛
(社)東洋美食薬膳協会認定講師(薬膳茶アドバイザー、薬膳アドバイザー、薬膳スイーツマイスター) 東洋薬膳茶スペシャリスト
(社)日本ホリスティックアロマライフ協会 アロマケアセラピスト
(社)国際感食協会 ミネラルコンダクター
YUHARAN kakoこと湯原佳予子です。
きらきらおおさかを運営、地域情報をお伝えしつつこの度メディカルアロマと薬膳 ナチュラルライフを開設することになりました。
YUHARAN kakoこと湯原佳予子の無茶苦茶個人的な(笑笑)詳しいプロフィールは地域blogきらきらおおさかに書いていますのでこちらをご覧ください。
メディカルアロマと薬膳・ナチュラルライフに対する思い
医療(医者)によって死の淵を彷徨い、医療(医者)によって救われた過去
赤ん坊の頃、私は未熟児で生まれたので、ほかの子供より小さく体力のない赤ちゃんでした。なので出産後すぐに退院できず、退院まで数カ月が必要だったのです。
やっと退院して家族のもとで暮らしたのもつかの間、風邪にかかりました。いわくつきの風邪です。
その頃には今みたいに風邪といっても、〇〇〇ウイルスなんて種類分けされておらず、十把一絡げ、何でも風邪ってことにされてたんでしょうが、こじらせるとえらいことになっちゃうんですよね。
風邪をこじらせた結果、肋膜炎という病気を発症してしまいました。
生まれてからすぐ母親と引き離されたこともあり、はやくからミルクで育ったので免疫力もしっかりついてなかったのかもしれません。ウイルスに弱かったんですよね。
当時のお医者さんは私が高熱を出しても、風邪を引いただけだからと薬を渡して終わりにしたそうです。親がこれはおかしいと再び訪問しても同じ扱い。
薬を飲ませても悪化の一途、ぐったりする私をその当時はセカンドオピニオンというのは親は知りませんでしたが、総合病院に連れて行ったところ小児科のお医者様に激怒されたとか。
「この子は死ぬぞ!こんなになるまで親がほっておくなんて!!」・・・と
運の悪いことに丁度その頃流行っていたはしかにもかかってしまって、死の淵を彷徨うことになったそうです。
もちろん、赤ん坊の頃の事なので本人は死の淵を彷徨うなんて記憶はありませんが・・・(苦笑)
最終的に助かったものの、親から離れての入院生活は更に何カ月も続いたそうです。
おかげで私はそれ以来、子供なのに毎日薬漬けの日々。それは小学5年生まで続いたのです。
ただ、救われたのは当時の薬は主に漢方薬で今のような錠剤ではありませんでした。生薬という感じの薬だったと記憶しています。今思えばなんとなく安心感を覚えます♬
嫌でしたけどね毎日飲むのは・・・いったい、いつ終わるんだろう薬を飲み続けるの??って思いながら、苦い粉薬を目を白黒させて飲んでいたのを覚えています。
時代が古い!!(爆笑)
こうして、私の赤ん坊時代の事で、両親は二人の医者の力量の差をまざまざと見せつけられ、何でもかんでも医者の言うとおりにしていては、えらい目に合うこともある!っと学んだそうです。
でも、庶民が、医者の力量などいちいち測るなんてことは現実的に無理な話です。
両親、特に母親、そして祖母の二人はこの経験を機にあれこれ思案したと言ってました。
そもそも未熟児で生まれて体力があまりなく、母親の母乳で育つ期間が短いから免疫も強くない。しかも生死の世界を彷徨うほどの大病も患わっている。そんな娘をどうやって丈夫な子供に育てるのか?
たどり着いた答えは「医食同源と運動で丈夫にしていくしかない!!」でした。
当時は高度成長期時代、日本が西欧諸国の工場化していたから、よほどの田舎は別ですが、国のあちこちが公害にまみれてました。
同じく食品にも今では考えられない添加物が使われており、世の中がカオスの状態。
なので、食材を厳選するなど、母にとってはまず安全な食品を手に入れることが先決!できるだけ安全で身体に良い食事を作る努力をしてくれたのでした。
そして、祖母は祖母で自然の恵みを使った食材で私にいろんなものを食べさせてくれたのです。
昔はお豆腐に漂白剤のようなものが使われていたんですよ。びっくりでしょう?まぁ今は今で、怖い添加物が出てきてますけどね(汗)
両親と祖母のおかげもあって、時間はかかりましたが、私は徐々に丈夫な体を手に入れるようになりました。
私が小学校1年までプールに入れず、入れるようになったのは2年生から、それくらい病弱だったと言っても今は誰も信じてくれません(笑)
超高齢出産もできましたしね。(爆笑)
余談ですが、父の給料の半分相当が私の医療費につぎ込まれたとよく母から聞かされていました。今は本当に国に手厚くされていると思います。とりあえず日本は崩壊しない限りはこの保護はあるのかな???
そんなこんなで、小学校高学年くらいから丈夫な体になった私、我が家では少々熱を出しても病院には行かず、インフルエンザにかかってたこともあるかもですが、高熱を出したら、番茶に擦ったりんごを食べたり、おばあちゃん特性野菜かゆを食べたりして自己免疫で治してました。
そうそう、耳下腺炎いわゆるおたふく風邪の時は、おばあちゃんが小麦粉をこねて、私の顎から耳にかけて小麦粉を塗りたくってましたね。これは効果あったかどうか?定かじゃないですけど、熱をとるためにしていたようです(爆笑)
もし、この頃にメディカルアロマがあったら、薬膳の知識があったら、対処の仕方がだいぶ違ってただろうなぁと思いますヨ。
ということで、病弱で幼稚園はほとんど行けず、小学校低学年までもしょっちゅう休むなど病弱な自分の体を持て余していたその頃の経験と、その発端となった出来事について親から度々聞かされるうちに医療(医者)に対してトラウマが生じ、それが私の現代医療への不信感をいだく要因となっちゃったんですよねぇ。
だからこそなんです!
今、コロナが世間にはびこってしまった状況の中、医療(医者)に頼りすぎないライフスタイルを追求していこうと決心したのでした。
そんな中で出会ったメディカルアロマと薬膳の世界。
貴方をはじめ多くの人に伝え分かち合っていきたいそう願ってやまないのです。
共に医療(医者)に頼りすぎないライフスタイルを作っていきませんか?